鬼ブログ
郡上タモを45年もの間作り続けた名人がいた。
「万久」という名前で知られる、吉村本夫(本名)さんだ。
惜しくも、2012年に亡くなられ、今は娘の睦美さん
が、後を継がれている。
とはいえ、10代のころからテンカラを楽しんで
いた父の持つ、渓流用品に関するノウハウのすべて
を受け継いだわけではないので、いまは、あるものを
細々と販売している。
鬼ショップで販売しているタモのほとんどは、
この「万久」さんのものを入荷し、販売している。
吉村家も、郡上や白鳥に親戚を持つ。うちの鬼嫁も
岐阜で育ち、郡上や白鳥に親戚を持つ。
どうやら、血が似ているようで、娘さんとは同い年
ということもあり、ふたりは仲良くなり、全面的に
商品を受け継ぐことになった。
「郡上の万さ」、と言われた、吉村さんの遺作である。
吉村さんは、木に精通する人だった。
若い頃は、大工をやっておられたそうだ。吉村さんの
お父さんも、大工。木が好きな家系のようで、
いろいろなことを娘さんに教えたそうだ。
竹の餌箱も作ったそうだが、竹の節はたいていは
円形だ。ところが、万久の竹の餌箱の底の節は、まっすぐ。
円形ではない。なぜかというと、
「1年に1度、月が○○の夜に竹を切ると、節がまっすぐだ」
という日があるそうだ。
その夜は、どんな用事があろうと、竹を切りに行ったという。
吉村さんは渓流タモに向いている木を切ってから、
何年も保存した。そうやって、曲がり具合や傷を確認し、
良いものにだけは「万久」の焼印を入れた。
娘さんへの遺言は、「万久」の焼印が入っていない
タモは全部燃やしてくれ。
もったいない・・・・・。
話を聞いて、泣いてしまった。思いが伝わる。
亡くなる前に、テンカラUSAのダニエルが訪ねてきて、
タモに関する話をしている。動画になっているので、
紹介しておく。
万久さんは、海外の人がテンカラをやることに大いに喜び、
海外向けの製品を作ろうとしていたそうだ。
だから、ぜひ、鬼ショップで、という話になった。
岐阜に生きた実直なタモ職人の仕事を、
丁寧に販売しよう。もうすぐ、紹介できる。
↓ 在りし日の吉村さん TENKARA USAのHPより
コメント
“渓流用品を作って45年の名人” へ 2 件のコメントがあります。
“渓流用品を作って45年の名人” にコメントを残します。
2月 25th, 2015 @ 3:27 PM
とても良いものを拝見させていただきました。
流石に名人のブログに登場する品は見事な出来でうっとりと見惚れてしまいます。
匠の技が随所に生かされている道具は使う前から見る者ををも魅了しますね。
心豊かになりました。ありがとうございます。
2月 25th, 2015 @ 5:44 PM
幻の渓流師様 どうもありがとうございます。本当に素晴らしい渓流タモで、このまま倉庫に眠っていたのでは、やりきれませんでした。そこで、販売させていただくことになったのです。いまも語り継がれる「万久」さんのお手伝いができて、本当にうれしいです。