テンカラの歴史
テンカラの歴史
まず毛鉤の発祥は、ヨーロッパでは紀元前、日本でもほぼ
同じ頃にあったようだ。鳥の羽を動物の骨や鹿の角の鉤に
巻いて擬餌針を作るという発想が、ほぼ同じ頃にあったらしい。
日本では海釣りに使われたのが最初と言われている。
そして、江戸時代、今から400年ぐらい前に鮎を対象魚と
した毛鉤が商いになっていたという文献が残ってる。
鮎は、人郷近くにいた。とても釣りやすい場所だ。
ところが、私たちテンカラ師が現在対象にしているアマゴや
イワナは山深い場所(1500m~3000mの山々)に棲む魚だ。
そういう魚を当時、専門に釣っていたのは、職業漁師、マタギ
(山の熊やイノシシを獲っていた漁師、現在も存在する)
というプロ集団だった。
この人たちのイワナ釣りが、毛鉤釣りであるという古い記録は、
明治11年(1878年)立山登山(2992mの連峰)をした
英国公使パークスにに同行した英国公使館書記のアーネスト・サトウ
が書いた「立山登山日記」だそうだ。(出典:石垣尚男、『読んではいけない
毛バリ釣りの真実』、人間社)そしてその時にガイドをしたのが
職業漁師の遠山品右衛門(しなえもん)だったのではないか、
と言われている。そこには黒部川のイワナが毛鉤で釣られていたこと、
イワナという名前のうまい魚を食べたことが記されている。
遠山品右衛門の使った毛鉤道具は、今でも長野県の山岳博物館に
残っているので一度訪れるといい。
簡素な毛鉤は私たちが出演した「風のフォークロア/テレビ東京」でも
紹介されている。
渓流魚の毛鉤釣りで記録に残る最古のものは1878年(明治11年)、
いまから130年前だが、私の住む遠州地方の父(大正11年誕生)や祖父、
その祖父、または友人知人のお年寄りの声を聞くとテンカラ釣りは
知っていたし、また、妻の祖父(奥飛騨で誕生し暮らした)やその知人たち
に話を聞いてもおそらく明治時代以前(祖父、曾祖父の時代)から
テンカラという言葉で毛鉤釣りを楽しんでいたらしい。
妻の祖父たちが住んでいたのは、岐阜と富山の境にある御母衣ダムの
上流方向にあった村で(廃村になった)、白山や白川郷に続く山深い場所。
その人たちが明治以前からテンカラとよんで毛鉤釣りを楽しんでいたという。
考えるに、武士ではなく山で生活の糧を得ていた民衆の間で
もっともっと以前からごく自然に親しまれてきた釣りなのではないか。
彼らは文字が書けない人も大勢いたから、記録に残りようがない。
五木寛之の「風の王国」を読んだことがある。日本には農耕定住民族とは
違い、山々を移動しながら暮らす民族もいた。網野善彦や柳田国男が
解説した、権力に虐げられてきた人々が用いた生きる力ともいえる
釣法。そんな山のエキスパートたち、マタギなどの釣りや漁のプロ集団
たちが選んだ釣りがテンカラだったのだろう。テンカラであれば
餌を探す手間が省け、魚を傷つけずに買ってもらえる。高く売れたことだろう。
釣りのプロ集団たちは、おそらく江戸時代以前、もっともっと、
もっと前からいたであろう、と榊原は考えている。
参考文献:石垣尚男、「読んではいけない毛バリ釣りの真実」、人間社 写真提供:石垣尚男